臓器移植の問題

どうせ燃やしてしまうのなら、患者に臓器移植し、人の役に立てばいいというのが、そもそもの考えにあります。
しかし実際には臓器移植というのは、そうしたものではなく、死体から取り出した臓器は、移植には使えないのです。
つまり、生きた体から取り出した新鮮な臓器を使用しないと、臓器移植が成り立たないということになります。
こうした事実があるからこそ、臓器移植は、人間の尊厳にかかわる問題として、物議をかもしているわけです。

臓器移植の問題は、生きている人の臓器でないとダメなことで、このことを一般に知らしめると、臓器提供者が減ってしまいます。
しかし、問題は、一般の人が、脳死や臓器摘出について、詳しく理解していないことで、そこに臓器移植の大きな問題が隠されています。
実際、脳死臓器摘出の実態は周知されていないのが現実で、そうしたことが、臓器移植の問題をより大きくしています。
どんなことが臓器移植で行われているかということも、よく知られておらず、そうなると、疑問点が多すぎます。
一般の人はそうした状況下において、臓器移植の意思表示をしているという現状にあります。
少しの勇気で救われる人がいる、あるいは、移植した人の体の中で生き続けると言う言葉で、臓器移植は美化されています。

臓器移植は、そうした美しい言葉が判断の根拠になっているところに、問題が潜んでいるのです。
つまり、どうせ死ぬのだからと臓器移植について、安易に考えてはダメだということです。
最近では、日本国内においても、脳死による臓器移植は、よく行われるようになってきましたが、それでも問題が解決したわけではありません。
移植を受けた患者の方ばかりに焦点が当てられていて、臓器摘出を受けた人は無視されているのが、臓器移植の最大の問題です。